bjノベルズ
『君ではないほかの誰か』
須藤亮介
【1】「誠実」って
(どうだっていいじゃないか)
そう吐き捨てたい気持ちを辛うじて飲み込んだ。
電話の向こうの克也は確かに一番の親友だったけれども、こと話がこの件に及ぶといつだって非難めいた口調になる。僕は正直言って彼のこうした態度にうんざりしていた。
「どうするんだよ」
「どうするもなにも……」
溜め息混じりに僕は続けた。
「決まってたんだよ、最初っから」
「決まってたって……」
「そういう約束だったんだから」
2時をとうに回っている。夜中の電話の声は静寂に沈んでいくように思えた。とりわけ暖かい冬の夜のつややかで、少し重たげな大気に、声の振動はすっと飲み込まれていく。夜は大きな生き物で、しめやかな闇にその裾野を押し広げているのだ。どこかで犬が吠えていた。
しかしさっきから同じ話の繰り返しだな。
さらに何か意見しようとする克也の気先を制して僕は言った。
「あいつだってそれを承知して僕と付き合ってたんだぜ」
そうだ。最初からそういう約束だったのだ。明はそれを知ってて、この2年を共にしてきたのだ。
丁度2年前、当時の僕の男だった武志がロンドンに転勤になった。武志はある家電メーカーに勤務していて、まあ外国へ赴任はある程度予想されていたものだったから、僕も別段驚きはしなかった。期間は2年。僕は待つつもりでいた。待てると思っていた。
ところが2週間、僕は明と寝てしまった。
自己弁護するつもりも無いけれど、それも仕方なかったのではないだろうか。
寂しかったから。
厳密に言えば、その時点で堪え切れぬほど寂しかったわけではない。これから2年、ただ待ち続けている自分の日常に思いを馳せると、どうしようもなく寂しかったのだ。
一晩だけのつもりだったけれど、どういう訳だか、それからすぐに僕は明と付き合うことに決めていた。明は僕より3つ下の22歳で、まあいってみれば一途で強引な押しに負けたと言う事だ。もう少し正確に言えば、そんな風に慕われることにあまり慣れていなかった僕は、微かな優越感と、庇護の対象を得た充足感に新鮮な感情を抱いたのだ。
もちろん武志のことは待つつもりでいた。
だから明とは2年、ほんの2年の付き合いだと決めていた。おそらく2年も持たないだろうという読みもあって、僕はさしたる思いも無く承知した。
もちろんその時点で明にはそんな諸々の事情をきちんと説明していた。2年経ったら別れる。だからそのつもりでいてくれ……。僕だってそんな不実な男じゃない。
「その話のどこが誠実なんだよ」
と克也は僕に向かって口を尖らせるけど、とにかく明はそれでもいいと答えたのだ。
「いつ帰ってくんの?」
「あと1ヶ月くらいかな」
本当に2年なんてあっという間だ。
「で、どうするの?」
やれやれまたそこに戻ってきた。
最初から克也は明と付き合うことには否定的だった。というより、正面切って反対していた。克也に言わせると僕は明を弄(もてあそ)んでいるという事になるらしかった。いくら合意の上だと強調しても、克也の強情を翻(ひるがえ)すことは出来なかった。その頃彼は10歳年上の男に捨てられており、きっとそのせいもあるのだと、僕は密かに確信していた。
「あんないい子なのに……」
「ああ、いい子だよ。いい子だから付き合ってやれたんだし」
「なんだよ、その高慢な言い方は」
「じゃあ、」
またも僕は克也を遮(さえぎ)ってた。
「じゃあさ、一体どうすりゃいいって言うのさ」
「それは……。だからもっと誠実な態度ってもんがあっても……」
「あのねえ」
なんでこんな簡単なことが解らないのだろう。仮にも克也は僕と同級である。
「僕は十分誠実だぜ」
そう。僕は武志に対して充分に誠実だ。誠実であろうと努力している。そして何よりも自分自身に。人の誠実の総量には限りがある。誰にでもいい顔なんて出来るものではない。
「どこが……」
さすがに呆れた声で克也が溜め息を付く。
僕は3本目の煙草に火を付けた。立ち昇る煙が暗がりに広がっていくのを僕はじっと見詰めていた。次から次へと煙りは広がり溶け、やがて狭い部屋の中は重く眠たげになってゆく。今にも塞がりそうな瞼を擦りながら、このまま眠ることが出来たらいいのにと、僕は考えていた。
「とにかく、あんまり阿漕(あこぎ)なマネするなよ」
「阿漕って何だよ」
「明を泣かせるなってこと」
「泣かないさ」
「……全くしょうがない奴だな」
一種の脱力感に任せて吐き出した台詞だった。この2年間克也との会話では、いつだってこの言葉が締めを飾る。お決まりの終止符だ。もう慣れ切ってしまっていた。
たとえセクシャリティーを同じくしていても、彼は僕を心底、そして正確に理解することは出来ない。僕だって解ってもらおうなんて思っていない。僕のことを理解している人間は僕だけで充分だ。
半端になった煙草を灰皿に押し付けて、僕は考えていた。
次頁
戻る
2011 TERRA
PUBLICATIONS