bjノベルズ
『トイレット』
西野浩司
【1−1】
Don't disturb
彼は、空(くう)を突く自分のペニスが、兄貴然とした男の口に飲みこまれてゆく瞬間がなによりも好きだった。小便をするみたいに突っ立ったまま、ズボンから逸物だけを掴み出し、足元にひざまずいた相手の口に突っこむのが。そんなとき、彼は相手に決して触れない。だって、公衆便所の便器をわざわざ愛撫するやつがいるだろうか。
相手は、物乞いのように彼の勃起を見上げる。鈴口に浮いた露をペロリと味見してから、唇でスモモ大の亀頭をすっぽり含む。途端に生ぬるい口腔が吸いついてきて、鈴口の裏の縫い目を舌先でなぞられる。死ぬまで癒えない傷口のような裂け目を。
まだ節くれ立った幹は見えていて、その距離の分、焦(じ)れったくてワクワクする。
だから彼はもったいぶって腰を退く。と、相手が一気に彼のパンツを引きずり下ろし、尻をかき抱きながら彼の腹を打ったモノに再びむしゃぶりついてくる。彼は自分の勃起が男の口に出入りするのをじっくりと眺めるために、相手の頭を掴んで大きく前後に動かしはじめる。押しこむたびにえずく相手。引き剥がすたび喰らいつく口……。
そんなふうに、彼は公衆便所の狭い個室で見知らぬ男にしゃぶらせるのが大好きだった。
彼は昔、飽きもせずにそんなことを繰り返していた。
いま、便器を跨いでしゃがみこんだ彼の前に仁王立ちして、彼の口を使っている若い男のように。
隣の個室からクソをひり出す音が聞こえてくる。背広をかけたドア越しに男たちの気配も聞こえる。
彼は猛り狂うモノをそっと喉で包みながら思った。そろそろ人の出入りが増える時間だ。ここの個室は死角になっているとはいえ、たまに警備員も見回りにくる。今日も慎重にやらなければ。
平日の昼下がり。デパートの体裁をしたスーパーマーケットの、紳士物のフロアの階段脇にあるトイレで。
さっきから不自由な格好を続けている彼の足は痺れている。むせ返る若さに頭の芯も痺れている。
その痺れた頭で、彼はいまさらのように考えた。
それにしても、いつ立場が逆転して、自分はただ奉仕するだけの役に回ったのやら。三十半ばを過ぎた頃だろうか。いや、その少し前、長男が生まれた頃か。
俺自身はなにも変わっちゃいないのに。生き方も、男の好みも。ようするにただ歳を喰ってしまったのだ。好みの男たちよりもはるかに。
すでに四十過ぎとはいえ、いまでも、会社帰りの駅のトイレで覗きこんでくる相手がいないではなかった。だがそれはたいてい彼と同じようなくたびれたおやじで、彼の好みは二十代までだったのだ。金隠しに垂れたネクタイをあわてて肩にかけ直しながら彼は思った。だからこうして仕事の途中、場違いな建物に通ってるんだ。胃から腐臭が湧いてくるような中年の口で処理するくらいなら若い精気に顔じゅう汚されたほうがどんなにかいい……。
はち切れそうな亀頭をねぶりつつ、柔らかな陰毛越しに相手を見上げる。
紺サージの学生服。すっきりと刈り上げた坊主頭。息子と同い年くらいだが、あいつの高校は服装も髪型も自由だ。いまどきこんな若者はかえって珍しい。なんだか息子よりも昔の自分に似てる気がする……。
彼は相手の硬い尻を掴む両手に力をこめた。
彼が、生まれて初めて男にしゃぶられたのは高二の秋だった。場所は予備校帰りの電車の途中駅のトイレで、当時、しょっちゅう腹を下していた彼は、その日も空(あ)いた個室を求めてそこに飛びこんだのだ。
もうかなり遅い時間で、便所のなかは冷え冷えと静まり返っていた。が、用をすませてホッと個室から出てくると、朝顔の前に中年のサラリーマンが一人だけ立っていて、鏡の奥から彼に笑いかけた。なんだろうと振り向いたらそいつも向き直った。テラテラとおっ勃った赤黒いモノをこれ見よがしに扱(しご)きながら。
なぜ、あのとき自分は逃げ出しもせず、促されるまま再び個室に入ったのか。それまで男に興味を感じたことなど全くなかったはずなのに。いまだに覚えている。学生服の上から抱きついてきた中年男の饐(す)えたにおい。人形のようにズボンを下ろされ尻に当たった壁の冷たさ。
そのあと、彼は家に帰って股ぐらだけでなくからだじゅう真っ赤になるまで洗いつづけた。
だがその夜、男の口の感触を思い出してマスを掻き、半月ばかり逡巡(しゅんじゅん)したあと、またそのトイレに行ってしまい、以来、彼は溜まればそこで処理するようになった。そのほうが受験勉強もはかどったし、それに、しつこい下痢も治まってしまったのだ。
晴れて地元の国立大学に受かってからは、男同士にも好みの存在することに気づき、自分好みの男――こんな兄貴がいればと憧れていた生きのいい年上を求めて方々のトイレを徘徊しはじめた。
地方都市とはいえ、探せばたいていお仲間はいた。彼もまだ充分若かったからモジモジと便器の前に立ってるだけで手がのびてきた。なかには無理やり彼に咥えさせようとしたり、いきなり後ろを狙ってくるのもいたが、そんなときはすぐ飛び出した。反対に、まるでデートの待ち合わせみたいに彼を待ち伏せ、ケツの穴から足の指のあいだまでケーキの皿を舐めるみたいに舐めまわしてくれた男もいる。そいつは会うたび部屋にこないかと誘ってきた。ワイシャツの太い首元がよく日に灼けたサラリーマンだった。だが彼はドアを出たあと振り返ったことは一度だってなかった。
いくら気持ちよくても、出したあとの空しさを思えば迷うこともない。彼はそのまま就職し、やがて結婚した。
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2011 TERRA
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